手の倫理

昨年買って第1章を読んだきり、つまづいて積読になっていたのですが
やっと読み終えました。
「第5章 共鳴」からが私には加速度的に面白かったです。
隙のある体に「受け入れる用意がある」からこそ「伝わっていく」。
手が集中を始めると(この本では目の見えない人の例を出しているので「見える体の間借り」となっていますが)「見ている相手の体の間借り」みたいなことが起こることが自分にもあります。
自分が施術しているけれども、
相手の身体の感覚が入ってきて、自分が施術を受けているような感覚。
「あ、ここだな」と私が思った時に「相手がそこ!」と思う瞬間とはまたちょっと違う、
まさに「共鳴」という言い方は適切かもしれない。
もちろん気のせいかも知れませんけど思い込み、
信じて行う、というのも大事だと思っているので。
施術中にこれはどういうことか、なんて考えないけど
この本にはそれが言語化されている感じです。
そして一昨年 6月に「そんなものは推拿ではない」というブログを書きましたが
それを思い出す「第6章 不埒な手」。
ここには内容は書きませんので気になる方は読んでみてください。
特に手技療法関連の仕事をしている人は
みんな読んだ方がいいとは思うんだけれども
読んだことでかえって意識してしまう人もいるかもなあ。
幸い、今までお客様から聞いた
「こういう最低なマッサージ(明らかにセクハラ)を受けた」という話に出てくる
施術所は国家資格のマッサージ師ではない人が働いていると思われる店舗だったので
きちんと3年間専門学校に通った人は
同級生との身体のやりとりの中で一応クリアしてる課題(だと信じたい)とは思われますが
学校でどんなに習っても、触り方が下手な人はいますからね・・・
自分も倫理的、というかさらに職人としての手、
ちょっと目標が高すぎるかもしれませんが
「人の心を動かすような手」を目指したいと思っています。

以上
高野でした。

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この記事を書いた人

Saori Takano

「ここに来て良かった!」と心から言っていただける治療室を目指しています。
鍼灸治療は人対人の相性が重要だと思っています。
来院するかどうか迷っている方は
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