マタイ受難曲 2021を聴きに。

上野に「マタイ受難曲」を聴きに行った。
誘っていただいて、チラシを見た途端、これは…寝てしまうかも、と思ったけど、久しぶりに文化会館に行きたいな、くらいの気持ちで。

休憩を挟んで上演時間3時間。
コンサート、というより音楽劇だった。
長かったけれど歌も
長い布を効果的に使った演出も、とても素晴らしく、
何度か鳥肌が立った。
私にとって「受難」の漢字二文字は、連想するイメージが、マーティン•スコセッシの映画「沈黙」のような、弾圧されるキリシタンの重苦しい感じと重なっていて
近寄りがたいといか、敷居が高く、自ら「受難曲」を聴くことはないだろうと思っていた。
それが今回字幕付きで通しで聴いてみて、初めて「こういう構成だったのか」と知り、重かった扉がふわりと開いた。
一緒に行った3人はミッション系の中高一貫校出身。私と彼女達の間には聖書の知識に圧倒的な差があるので
多分、全く違う感覚でこれを聴いているのだなあと妄想していたら、案の定
終演後に3人とも、「今でも一節を暗唱できる」「懐かしい」「朝、聖書を読む時間があった」
など、10代の学校での聖書の思い出話に花が咲いていて受難というテーマが暗いとか重いとかの話には一切ならず、興味深かった。
とはいえ私も
有名な宗教画や彫刻は若い頃に結構見ているで(「最後の晩餐」は当時補修中で一部しか見られなかったけど)、
イエスとユダ以外の名前を覚えていなくても意外と全体のストーリーは実は知っていたと気づく。
なんだ、そこまで身構えなくても大丈夫だったなとやっと思えたのが今回の収穫。
これからは、受難とかよくわからないから聴けない、
という変な縛りや遠慮から解放されて、外国に行って教会や絵画を見る時と同様に
「作られた当時の意味を超越して、現代に受け継がれた美しいもの」として
自由な気持ちで楽しむことにした。

で、早速お客さんがいない時にボリュームをあげてマタイ受難曲を。
ちなみに施術中は、自分自身がエモーショナルになるのはよくないので、
ここまで荘厳でない曲の方が好みです。

この記事を書いた人

Saori Takano

「ここに来て良かった!」と心から言っていただける治療室を目指しています。
鍼灸治療は人対人の相性が重要だと思っています。
来院するかどうか迷っている方は
ざっと眺めていただいて参考にしてくださいませ。