若い頃はせっせと日記をつけていたが
ある人の「自分にとって、日記はストックではなくフローである」という言葉に
ああ、そうなのかも知れない、と思ったら
なんとなく、そこから毎日書くテンションが下がってほとんど書かなくなってしまった。
未来の自分へとか、後々の参考にという
わりと打算的な気持ちで日記を書いていたせいもあって
そこを否定するのであればペンを走らせて記録する時間よりも
一瞬一瞬の行動の方を充実させる方がいいと思うようになったからだけれど、
記憶力の方は加速度を増して落ちていく。
何も書き残さなければ、いつ何処に行ったか、誰と会って何を話したかも怪しい。
先週食べたものなどは、もはや全く思い出せない。
映画や舞台を観たり美術館に行ったりするのは
明日を心豊かに過ごすためのストック的な要素が重要、
と信じてきたけれど残念ながら記憶という観点から言えばフロー的に捉えた方が
しっくりきてしまう今日この頃は
体験を少しでも何某か頭に残しておこうとすると
1回だけでは全然足りない。
そんなわけで今回、野田秀樹の「フェイクスピア」は意識して
5月、6月、7月と3回 観に行った。
映画も舞台も2回行くことは何度かあったが
3度同じ演目で行ったのは初めてだと思う。
群衆が静かに倒れるところから始まるドラマティックな序盤から
恐山へ。韻を踏んだりダジャレの連続。コメディからその後の悲劇への展開の振り幅が凄くて、
予想外の結末にどう反応していいのか悩んでるうちに終了してしまった第一回。
シェイクスピアや、その「息子」の「フェイクスピア」や
星の王子様と共に「日航機のあの事故」が登場する。
もっとも、日付でもキーワードでも私は全然ピンと来なくて
終盤に差し掛かってからやっと、あれ?と気づいたんだけど。
2回目は四の五の言わずに観たまま素直に感じたことを受け入れる。
それでも、まだここで泣いていいのか悩む。
周囲ですすり泣くお客さんの順応の速さにびっくりする。
3回目でやっと全容を理解する。前回見逃した部分を確認しながら、
フィクションの世界からノンフィクションの世界を行ったり来たりしつつ、
今度こそ本当に、ちゃんと舞台を堪能する。
三回目が一番良い席だった。
席が違うと視点が変わるのが舞台の醍醐味であり、
これは映像では絶対に味わえない。
生身の人間が醸し出す空気は他の何にも代え難い。
そういうところは鍼灸施術にも通じるものがある。
・・・っていうのはちょっと無理やりなこじつけか。
またすぐ忘れていくのは惜しいので
公演パンフレットではなく、月刊新潮を買った。
舞台がそのまま文章になっている。
そういうわけで誕生日の今日は
脳内で4回目のフェイクスピアをみている。