師岡カリーマ 「イスラームから考える」

ある夜、特に目的もなくテレビをつけたら、アラビア語講座をやっていた。
アラブ圏にはどこにも行ったことがなく、自分に最も縁遠いと思われる言語だ。
ふと、司会(?)のアラジンの物語の一部を朗読しているきれいな女性に注目。
アラビア語は全然わからないけれど、
彼女の発音がネイティブであるのはなんとなく感じる。
場面が変わって他の共演者と一緒になると滑らかな日本語になった。
顔は日本人のようにも見えるし、
英語が堪能な日本人というのは見慣れたけれども、
アラビア語と日本語がぺらぺらのこの人は一体どういう背景を持つ人なんだろう、
と思いつつそのまま忘れていたら、
旦那が偶然彼女の著書を買ってきた。

師岡カリーマ・エルサムニー著 イスラームから考える

彼女が日常で抱えるジレンマや疑問を通して一般的なムスリムの
マイナスイメージ部分を変えたいという思いが伝わってくる。
自分はイスラム教徒に対してそれほど偏見はないと思っていたが、
それは嘘でした、というのがわかった。
知性というのは悩みが深いほど輝くのかも知れないと思うと、
自分のアイデンティティで悩んだことがない身としては
エジプト人と日本人のハーフという彼女の身の上がちょっと羨ましいような気もしてしまうが、
面倒を避けるために自分の宗教や血筋を隠さなければならない場合があるというのはとても苦しいことだ。
(清掃登山の野口健もエジプト人のハーフらしいけれど、
男だし、イスラム教徒じゃないから彼女のように悩んだことは一度もないんだろうな)
少し前、TVでトルコの「イスラム服」のメーカーが
ドイツ人デザイナーを招聘して従来の地味なイメージを一新し
身体はしっかり隠しつつも色や柄やアクセサリーの幅を持たせることで
そのファッション性を支持されて躍進中だという特集をしていたが
彼女に言わせれば、
コーランのどこにも女性にあのような格好をしろと具体的記述があるわけではなく、
「イスラム服」という定義は変だという。
そのような話は過去に何度か耳にした気もするが、
今同年代の女性からその主張を聞くとすんなり納得。
だから彼女もイスラム教徒ではあるけれども
日本はもちろんエジプトにいるときでもベールを被ったりはしないし、
重要なのはむやみな肌の露出を避けるという点であり、決まった形はないと。
そして、男女平等に働くという目的があるならば
年齢を重ねて体型が崩れても身体のラインをあえて出したりするのは
かえってデメリットになりかねず、隠すような服の方が魅力的だという考え方もできると。
ううーん、なるほど。
いつも長いズボンで働かなくちゃいけないのは
つまらないんじゃないだろうかなんて思ってた自分は全然わかってなかったなあ。
若い子の挑発的なファッションも嫌いではないが、
男性がいる職場で水着と見まごう格好をして、仕事に何の影響も出さない、
というのはどんなに綺麗事を並べようと現実は無理ってものだ。
不細工なワタシでさえ、会社員だった20代には多少服装で若さをアピールして
ささやかな恩恵を受けた思い出もないわけじゃないし。
でもそれって上司が男ばっかりだったからで、
女性がちゃんと評価されて昇進している会社だったら、全然話は違ったはずである。
仕事をするということに重点を置くのであれば
女性全員が身体を隠すことは非常に合理的であるという主張。
正論の気もする・・・が、男というのは不純な動機で頑張れる生き物らしいので、
女性が全員ベールを被った会社というのが日本にあったら
男性社員の士気は落ちるかも知れんなあ。
ま、そしたら男女の所得差が逆転するチャンスっていうことでそれもいい。

エッセイみたいな本なのですぐ読めてしまうが、
小さいエピソードひとつひとつがいちいち濃かった。
風刺漫画事件とか、在米アラブ人のお笑いとか。
ニュースはそのまま伝えるべきもので「わかりやすくお伝えします」はおかしい、
加工されたものなんか見たくないというくだり、
彼女はイスラム教徒の視点から、特に強く実感しているのだろうが
のほほんと暮らしている私でさえ、
マスコミの偏り具合にうんざりすることがあるのでうなずき50回。

いつかコーランも読んでみたいな、と思わせる1冊でした。

この記事を書いた人

Saori Takano

「ここに来て良かった!」と心から言っていただける治療室を目指しています。
鍼灸治療は人対人の相性が重要だと思っています。
来院するかどうか迷っている方は
ざっと眺めていただいて参考にしてくださいませ。